1月17日 「命」そして「生」を感じ、感謝する日・・・
1995年1月17日午前5時46分・・・6434名を超える命が否応なしに絶ちきられました。あれから29年が経ちました。その当時、まだ、君たちは「生」を受けていません。でも、いま「生」を受け継いでいます。1月17日・・・「命の日」「家族の日」「感謝の日」「絆の日」です。6434・・・震災で亡くなった一人ひとりに下のような命の物語があり、その命に関わった人たちの物語があります。そして、あなたの命にも、友の命にも大切な命の物語があるのです。友の、家族の自分の命の物語を語り、感じる日です。私たちは、生かされている「命」を大切に生きているでしょうか。その「命」を支える愛を感じ感謝して生活しているでしょうか。そして、自分の「命」同様、他人の「命」の尊さを感じているでしょうか・・・
今年、1月1日に能登半島を大地震、津波が襲い、多くの家々が焼かれ222名が亡くなり、22名が安否不明、そして16,000人を超える方が吹き積もる寒さの中で避難しています(1/17現在)。輪島市の中学校では再開のめどが立たず、約250名の生徒が白山市に集団避難し学習するといいます。そして、神戸東公園では「ともに」という言葉が灯りました・・・今、私たちに何ができるでしょうか・・・
1995年私が勤めていた西宮の浜甲子園中学校では2月1日から学校に生徒が少しずつ戻ってきました。断水でトイレ前には提供していただいたバスタブに水をためてその水でトイレを流したり、初めは午前中で放課、しばらくして牛乳とつめたいパンケーキ1枚の給食が出されるようになりました。ライフラインも含め、まだまだ非日常でしたが、学校という場で友と生きて再開できた・・それだけで生徒は少しずつ笑顔を取り戻していったように記憶しています。その当時、教師として初めて三年生を担任していました。上記はその時の高校受験間際の3年生が学校再開してすぐにつづった手記です。
当時の新聞記事より ママへ めい田なつき みかげ小学校2年 ママ、お元気ですか。なっちゃんは元気だよ。ママのおうちはどこ?なっちゃんのおうちは、みかげ石町3丁目のおじいちゃんとおばあちゃんのおうちだよ。おねいちゃんも元気だよ。 でもママは、なっちゃんとのやくそくをまもれなかったね。「なっちゃんのちょきんばこにお金がたまったら、いっしょにデズニーランドにいこうねっていったのに。なっちゃんはちゃんとまもろうと思っていたけど、ママがいないからまもれないよ。 ママ、かえってきて。そしたらディズニーランドにいこうね。 いつもママのゆめをみるよ。でもゆめだけじゃつまんない。なっちゃんのところにもどってきて。やくそくをまもってください。 |
「今日のあんしんネットは『こうろく池が凍りました』ですね」と生徒が朝一番に話しかけてくれました。今日の沼島は冷え込んでいます。でも、この寒さの中で・・・