夏休みも折り返しに来ました。子どもたちはいっぱい遊んで、たくさんの新しい学びを得ているでしょうか。「まだ本気出してない」(笑)という人も遅くはありません。残りは20日間,、まだまだありますから取り組んでみましょう。
さて、「大野小学校は普段から宿題がないらしいけど、学力が下がるのでは」という声がなお届きます。「宿題がない」ならば「勉強せず遊ぶばかり」ならば「学力低下」ということでしょうか。
「やること決めてもらわないと子どもは自分からは勉強しない」という認識は、長年にわたって「宿題」を強制する学校が生み出したものです。戦後の昭和から平成終盤にかけての成長社会には、決められたことを決められた通りにする「宿題」が絶対不可欠な訓練。そうと思い込んでいた指導が、「作業中心の宿題が学力の基盤」という認識を一般化させたように思います。
学校はそうやって多くの子どもたちを「指示待ち」に育ててきました。教員もそういう教育を受けてきた者が大半ですから、他校には「宿題は絶対必要」と信じる校長や教員もいることでしょう。
しかし、これからの成熟社会では「自分で正解を創る力」が必要です。だから大野小学校の教員は「全員一律一様に揃える教育」からの脱却を図っています。未来に生きる子ども達を「与えられること、指示されることが普通」「予め誰かに準備してもらえてないと動けない」という「考えない大人」にはなってほしくないからです。今年、どの学級でも担任が宿題を出さなくても、自分の課題を設定して家庭学習する児童が増えているのも事実です。
自分ではやり方がわからない子、学習が嫌いな子には楽しんで学習の仕方が身につき進んで取り組めるように、自分で考えてする子には効果や効率が得られるより良い方法を見つけられるように導く、その手立ての一つとしての「自主学習」。これを「宿題」に代えて続けられるようになれば、生涯を通じて自分自身の学び方を築いていけると考えています。
もちろん学校では基礎基本はきちんと教え、練習させていきますが、「生きた学力」になるか否かは、子どもたち自身の実践(遊び)の有無が左右します。それぞれ目的もやりたいことも違う、感じ方や学びや成果も違う。だから自分に合わせた自分の学びのための「自主学習」。「自ら学ぶ」児童を育てるために、全員一律に同じ作業を課す「宿題」の割合を減らして、まずは自ら進んで取り組める学習の機会、時間の余地を広げたい、ということです。(文責:校長)