「おはようごさいます」「あけましておめでとうごさいます」「今年もよろしくおねがいします」
と元気に生徒達は沼島中学校に帰ってきました
令和6年は、1日は能登半島を中心とした地震津波、2日は羽田空港で大事故・・・と自然災害、事故が発生しました。能登半島地震では今日の段階で、168名の命が断ち切られ、323名が安否確認が取れず、約2万8000人が、厳寒の中、避難生活を送っています。ライフラインの復旧もまだまだです・・・
今年1/17で29年目となる阪神淡路大震災のとき私は西宮で被災しました。その時のことを思い出しました。その一場面に下のようなことがありました。
「なかには、遅くなったことに不平をいうお客さんもいますが・・・『ありがとう、お疲れさま』その一言で私は頑張っています」。ほとんど、自分のうちに帰ることなく連日寝る時間も削りガスの復旧にきてくれたガス会社の人の話です。また、こんな人にも出会いました。「何かできることありませんか?」給水車から地域の人に水を分ける作業をしていたときのことです。
「手伝っていただくとありがたいのですが、おうちの方は大丈夫でしたか」
「はい、何とか・・・中はメチャメチャですけどね・・・。でも、何かお手伝いできること・・・ありませんか」
多くの人が、人は人の中で生き、支えられ、そして、自分の存在が支えとなって・・・(当時の学級通信より)
私にも、「ここまでできるか」と言えば自信がありません。少林寺拳法の創始者宗道臣は「半ば自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」と言っています。決して「半分」ではなく人によっては10:90できる人も、95:5の人もいると思います。でも、この気持ちって大切だと思います。