2025/1/22 11:46
お知らせ
250122 お母さんみたいになれているかな

ママへ       めい田なつき みかげ小学校2年

ママ、お元気ですか。なっちゃんは元気だよ。ママのおうちはどこ?なっちゃんのおうちは、みかげ石町3丁目のおじいちゃんとおばあちゃんのおうちだよ。おねいちゃんも元気だよ。

でもママは、なっちゃんとのやくそくをまもれなかったね。「なっちゃんのちょきんばこにお金がたまったら、いっしょにデズニーランドにいこうねっていったのに。なっちゃんはちゃんとまもろうと思っていたけど、ママがいないからまもれないよ。

ママ、かえってきて。そしたらディズニーランドにいこうね。

いつもママのゆめをみるよ。でもゆめだけじゃつまんない。なっちゃんのところにもどってきて。やくそくをまもってください。

1997年1月16日の神戸新聞の記事です。1995年1月17日の阪神淡路大震災で大好きなお母さんを無くした銘田奈津紀さん(同時8歳 現 永尾奈津紀さん)が「ママ、帰ってきて」との思いを作文に綴り「追悼のつどい」で発表した原稿です。知り合いとかそういうのではありませんが、当時、1歳にならない息子を持っていた父として、私は、この作文を胸がつまる思いで読みました・・・

神戸新聞は、奈津紀さんの物語を定期的に掲載しています。本日の神戸新聞に、「お母さんみたいになれてるかな 追い越した年齢、自身も2児の親に 阪神・淡路大震災30年」と題して震災30年を迎え2児の母となった奈津紀さんの記事が出ていました。下記URLよりぜひお読みください。

https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202501/0018566154.shtml

「ママ、帰ってきて」 神戸新聞 1997.1.16

「ママのように思いやりのある人に」 神戸新聞 2007.1.15

「ママ 美容師になったよ」 神戸新聞 2014.12.19

「娘と歩む 母の分も」 神戸新聞 2019.1.18

過去掲載された神戸新聞の記事を配布物に掲示しています。「美容師になりたい」という夢を叶え、結婚し自分も母になり、震災で命を断ち切られた母への思いを綴っています。併せてぜひお読みください(掲載許可確認後掲示します)

毎年やってくる1月17日・・・ぜひ、自分達家族の命の物語を、そして、多くの方の命の物語に触れる機会してください。そして、今、繋がれている「命」に感謝し、次の命の物語を作り、紡ぐ子どもたちとなってほしいと思います。