素敵な言葉
「傘がないの。」
雨上がりの下校時間のことです。職員室に低学年の児童が来て、不安そうな表情で扉を開けました。登校時は靴箱近くの傘置き場にまちがいなく置いたとのことです。
一緒に来た友達も「朝はちゃんと傘を持っていたよ。」とフォロー。
その場所に見に行きましたが、本人の言う傘は見つかりませんでした。私は、「傘は何色?」などと特徴を聞いて「探しておくね、見つけたら教えるから。」と言いました。
さらに「もしかしたら、誰かが間違って持って帰ったのかも。」「その時は、きっと連絡があるはずだよ。」と伝えました。
私は心の中で、後者の可能性が高いかなと思いました。下校時は、雨が降っていなかったので、傘を広げません。なので色目だけで判断して持ち出した児童がいるだろうと。
次の日、その児童が「傘があったよ。」と報告に来てくれました。「よかったねー。」とその場にいた先生たちも感激。私たちのことを思って報告しに来てくれた行動にも、とてもうれしく感じました。前日とは打って変わって児童の表情はとてもにこやかでした。
そして「傘はどこで見つかったの?」と尋ねた時の児童の答えが素敵でした。
「昨日学童に、先に行っとった。」
頭の固い私には絶対出てこない言葉だなあと思いました。
子どもの強みを伸ばす・・・の前に
急に話題を変えてしまいます。すみません。
子どもの「強み」とはその子どもが得意とすることや、よい性質のことです。それを認めて伸ばしてあげることが大事なのは言うまでもありません。
これまで、私たちは学校教育の中で、「強み」よりも「できないこと(弱み)」に注目して、それに対する手立てをしてきた傾向があるのではないでしょうか。
集団の仲間として、同じように歩んで行ったり、学齢に応じた力をつけさせてあげたりしたかったからです。
日本は主に農耕社会であったため、皆で生産し、皆で分配する生活を長く続けてきました。集団の中でどのように生きていくべきかという行動規範や道徳を重視し、社会システムや教育がそれを受け継いでいます。
ある人に「弱み」があったとしても、集団に適応できるようにしたり、必要ならセーフティーネットを敷いたりしてきたのです。
そんな仕組みがあったからこそ、日本は格差を広げすぎない社会を築いてこられたのだと思います。
ただし、欧米のような「個の自覚」を促す教育は貧弱だったとも言えます。
それぞれが違う形で持っている「強み」を自覚する機会が与えられなかったり、伸ばされなかったりしてきたことも多いのではないでしょうか。
これからの時代に向けて、考えていかなくてはならない課題となっています。(ただし「弱み」への手立てが忘れられてはいけません)
(続きます)