他人のためと自分のため
津名東小学校が「目指す児童像」の中に「人のために行動できる子」があります。このことについて書かせていただきます。
「人のため」と言っても「自分は何でもいい」ということではありません。自分がいつも我慢したり、自分の望みをあきらめたりするのは、生きづらいばかりでなく、他人にも気を遣わせてしまいます。
そうではなくて「自分のために生きている」ことも大切にしていれば、周りに振り回されることがなく毎日をイキイキとすごすことができます。
※よろしければあんしんネット4月20日の記事「目指す児童像」、9月21日の記事「自分らしく行動する」もご覧ください。
自分のため、に偏らない
しかし、自分を振り返っても、子どもたちを見ていても、「自分のために生きる」ことへ偏ってしまっては、豊かに生きるのはむずかしいのではないかと思います。
それは、皆さんも同じ気持ちだと思いますので、お子様に対して「他人のために行動する」必要性も教えているのではないでしょうか。
一方で時代が進んで行くにつれ、出されているアナウンスというのは、「きみのための人生なんだ」「自分のため、個性を伸ばすために学ぶんだ」という側の比重が増えているように感じます。まずは自分が幸せになってこそ他人を幸せにできる、ということですが、解釈をまちがえば、つい自己中心的になる可能性もあるのです。
そこで「人のために行動できる」価値を再確認し、それが自分の豊かな生き方につながっていることを実感させていかなくてはならないと思います。
例えば、クリスマス集会でみんなを楽しませるために、児童会として大変だったけれど、行事を成功させた。あるいは困っている人の支援にたくさんの苦労があったけれど、すごく喜んでもらえた。ということがあれば、ものすごく感激し心が満たされるはずです。
負けるとわかっていても
他にもこんな話を聞きました。中学校柔道のとある大会、団体戦です。
この大会の団体戦は2つの学校がお互いに3人ずつ戦って、そのうち2人が勝つと団体戦での勝利となります。
3人が相手と戦う時、総合力が互角の場合、誰が相手のどの選手とあたるかということが重要になります。この時、自分の学校は三番目の実力の選手を最初に出したのですが、相手は一番強い選手を出してきました。
これは普通でいけば負けます。ところがこの時、とても感激することが起こりました。もちろん最後は負けましたが、ぎりぎりまで踏ん張ってがんばり、相手の一番手選手を最後までてこずらせたのです。そのため相手校は浮き足だったらしく、それが二番目と三番目の試合に大きく影響し、とうとう団体戦でうちが勝ってしまいました。
(続きます)