(続きです)
なぜ言うことを聞かないのか
全く勉強しない生徒がいる。「なぜ、勉強しないんだ」と問いただすのは、「尊敬」を欠いた態度である。
そうではなくて、自分がその生徒と同じ年齢で同じ家庭に暮らし、同じ仲間に囲まれ、同じ興味や関心を持っていたらと考える。そうすれば、「その自分」が勉強という課題にどんな態度をとるか、なぜ勉強を拒絶するのか想像していくことができる。
別の例でいうと、ゲームがやめられない子に対して、大人からみて「役に立ちそう」な物を与えようとする。これも「尊敬」を欠いた態度である。
まず、そのゲームを理解し自分もやってみる。場合によっては共に遊んで楽しむ。
彼らの興味、関心に「共感」してはじめて、自分が認められていること、下に見られていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感できるでしょう。
反対に一人の人間として「尊敬」されない場合、まずは自分が注目されたい行動(特別な地位を得るため)が始まります。学業、スポーツ等で力を発揮できる子はそれで特別な地位を獲得できますが、その力がない子はどうなるでしょう。
おそらくルールと違った行動をしたり、他人を困らせたりと、自分へ注意を向けさせようとします。存在を無視されるくらいなら叱られるほうがずっといいということです。
そこで周りの人が「尊敬する」ことに気づけば、悪行が収まります。反対に「尊敬のない」態度で子どもを扱うと反抗・不従順→復讐とエスカレートしていくのです。
振りかえり
紹介させていただいた「哲人」の言葉は書籍「幸せになる勇気」のほんの一部分です。
しかし思い起こせば、私が教えた生徒たちの中には反抗する子もいました。私はその子のことをひとりの人間として「尊敬」できていなかったのだろう・・・。一方、反抗という態度を見せなかった子たちに対しても「尊敬」する目線を持てていなかったのではないだろうか・・・。
そんな反省が心に浮かんできます。 過去は取り戻せませんが、当時の私に「哲人の言葉」を伝えたいと思いました。
(※)教育とは大人の価値観を押し付ける「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。その入り口として子どもに「尊敬」の念を持つことからすべてが始まります。
(※)も本の中にある「哲人」の言葉です。
私たち大人は、価値を押し付けてしまうことがあるかもしれません。
それでも子どもたちが自立に向けて力を発揮できるよう、援助する姿勢が大事なのです。今年も皆さんとともに力を合わせてまいります。
最後まで読んでくださりありがとうございました。