6年生たちは、小学校生活があと1か月になりました。6年間の半分は新型コロナウィルスに影響されました。それでも、それぞれが精一杯がんばっていたことは間違いありません。
もちろん他の学年の子たちも精一杯がんばっています。悔いなどは残っていないでしょうか? もしあったとしても残り1か月間で、もしくは進学、進級したときに取り戻してほしいと思います。
さて、最近私が感じた、「(何でも)やってみる(児童)」について、今回は次の2例を紹介させていただきます。
ピカソのフルネームを覚えた子
ある日、高学年の男児が私のところに来て、「パブロ・・・・・・・・」と言い始めました。「えっ?、何?」と一瞬思いました。しかし、「・・・・・・・・・・・・ピカソ」と最後を聞き取ると、「ああ、この子は世界的な名画を残した画家、ピカソのフルネームを言ってくれたんだ」と理解できました。
ピカソのフルネームはなんとカタカナ74文字(詳しくは1月28日配信の記事に掲載)もありますから覚えるのは、至難の業です。ピカソ本人も自分の本名を言えたのかどうか怪しいと、私はにらんでいます(笑)
にもかかわらず、男児がピカソの長い名前を覚えたということに感動しました。文を覚えることが苦手な私(スピーチでは失敗だらけです)にとっては、心から尊敬します。
もうひとつ感動したのが、児童が「ピカソのフルネームを覚えてみよう」と考えたことです。
なぜ、覚えようとしたのかは男児本人も、理由を説明できないのではないでしょうか。覚えたからといって、一生のうちに使う場面がほぼないと思います。
だから、何となくチャレンジしてみたくなったのかなあ、と想像しています。
そういえば私は子どものころ、古典落語の寿限無(じゅげむ)の話を知って、「寿限無、寿限無・・・・・・・・・・・の長助」(ひらがなにすると135文字)を覚えようとしたことがあります。同じような子どもたちもこれまで多く見てきました。
(続きます)