(続きです)
「悪いのは○○さんだ」と心の中で決めつけてしまう失敗について
口には出していませんが、心の中で決めつけても失敗します。Aさんが訴えてきたときに、状況や原因を両者から聞き取ろうとします。しかし、意識ではAさんが被害者、○○さんが加害者となっているので、2人への聞き取り方に差ができてしまいます。
○○さんの立場なら、たとえ子どもであっても「この人は(先生は、親は、など)、自分のことを悪いと思っているようだ」と感じることでしょう。言葉では悪者扱いされていなくても、聞き取る人の表情や口調、体の動きを感じて、いくらでも察知できます。
そうなると、「どうせ自分の言い分は聞いてもらえない」と判断しますから、説明したくてもその気にはなりません。黙る子もいればごまかす子もいます。大人でも同様です。
良くない行為が多い子どもが関わっていると、心情的に「またか」となることはあります。決めつけはよくないと分かっていても「つい心の中で」、というのも理解できます。
けれども、そんな心情から抜け出して、公平に話を聞いてあげたいものです。目的は良くない行為が改まって、相手につらい思いをさせないことだからです。
別の言い方をすれば、良くない行為を繰り返してしまう子に対して、周りから受ける低評価から救ってあげたい、自信をつけてほしい、という気持ちを働かせればいいのです。
例えば次のような場面を想像してください。
良くない行為に対して、「なんでそんなことをしたの?」と聞きます。これは理由を聞いているようで、なんとなく「あなたが悪い」と決めつけている印象があります。
それを「なにが、あったの?」と変えてみてください。
すると、聞き取る人が両者の言い分を公平に聞く余裕が出ているのではないでしょうか。
まとめとして
子どもへの指導もちょっとの言葉遣いで様子が変わってきます。頭ごなしに注意すると、一時的に悪い行為はしなくなるでしょう。しかし心からの反省はできません。この間、公園(淡路市外)で子どもの良くない行為に罵声を浴びせる親がいました(悲)。
それよりも、両者の感情に寄り添い、子どもの未来に目を向ける愛情があれば、子どもは嘘のない話をしてくれるのではないでしょうか。そして自身の行為に向き合い、反省や謝罪へと結びつくと思うのです。
今回の話が、子どもの指導で苦慮されている方への一助となれば、幸いです。最後まで読んでくださりありがとうございました。
あとがき
「先生が担任だった時、そうであってくれたらなあ。」という声が、たくさん聞こえてきそうです。(当時は申し訳ありませんでした)