理不尽な主張
スピード違反で捕まったドライバーが「なんで自分やねん、他もスピード違反おるやろ。自分捕まえるんやったら、そいつらも全部捕まえんかい(# ゚Д゚)」という場面を、見たことはありませんが、何となくありえると思っています。
捕まったドライバーの主張について、自分だけにペナルティーが科せられ、不公平だとする気持ちはわかりますが、やはり自分の運転行為が危険を伴うものであったはずです。反省のない主張は理不尽であることが否めません。
さて、私が子どものころ先生に注意を受けた時に、同様の主張をしたかもわかりません。直接先生に言わなかったとしても、友達には「なんで、俺だけ怒られらなあかんねん (>_<)」 と確実に愚痴をこぼしていました。
叱られたら、そんなものかなあと思います。(私だけ?)
叱る側の立場
子どもが注意を受ける行為をしていたり、様態であったりした時に、注意される子とされない子がいれば、これは叱る側(学校なら先生)の問題です。
そういうことはあってはならないと先生たちも極力気を付けています。
しかし、次のことは学校あるあるなのですが、
①注意すべき対象の子どもを、すべて把握できていない場合
先生は一人で多人数相手に授業などの指導を行っています。注意の場面があるとそこにフォーカスします。そんな時、別のところで同様なことが往々にしてあるのです。先生は気づかなくても、子どもはしっかり気づいています。そして不公平を感じてしまいます。
②配慮事項を子どもたちと共有できない場合
私が子どもの時は、一律・一斉指導が今より多く、みんなが同じことを求められていたのではないでしょうか。それでも、特定の子に対する配慮はありました。
ところがプライバシーは守られるべきものでしたから、担任の先生がクラスの児童生徒と、その配慮事項を共有しない例もありました。
普段はそれでいいのですが、何かしら注意を受けた時に、陰で「何であの子は怒られないんだ?」と愚痴をこぼす例はあったのです。
多様化が進む現在は、上記の場面は減りつつあると私は思います。個々の違いを認め合う考え方が浸透してきたからでしょう。このことは、よいことです。
(続きます)